大塚春嶺とは2023年10月22日 14:52

 日本画家 大塚春嶺は、文久1年(1861年)に生まれて、四条派と土佐派(当時の分類)の画法で日本画を描いていました。いわゆる歴史風俗画家となります。
 生まれたのは丹波の園部ですが、その後遅くとも、明治半ばには大阪に出て、船場近くの綿屋町(旧名)に住んでいました。
 春嶺は、大阪の四条派大家である深田直城を師として画業を始め、京都画壇の谷口香嶠に土佐派的な歴史画を学んでいます。明治30年前後から展覧会である絵画共進会や内国勧業博覧会等では入選を重ね、明治38年には、深田直城を中心に若葉会を結成して活躍していました。しかしながら明治40年の文展以降は、旧派の日本画は表に出ることが少なくなり、画壇からも忘れられた画家になっています。
 最近、大阪画壇への注目もあり、大塚春嶺の名も時折見かけることがあります。私自身が春嶺のゆかりを持つものでもあり、かれこれ15年くらいの作品の収集と調査をしてきました。その結果、歴史風俗画の範囲であるにしても源氏物語絵を代表作とする優れた画業があることを見出すことができました。
 来年(2024年)は春嶺没後80年となり、故郷の南丹市文化博物館で、4月に回顧展の開催が予定されています。
 このブログで大塚春嶺回顧展に先駆けて、春嶺はどのような画家であったかについて少しづつ紹介をすることになっております。よろしくお願いします。

*撮影画像により紹介する作品は、全てブロガー(小林弘明)の所蔵するものです。撮影についてもブロガー(小林弘明)によるものです。無許可での転載は禁じます。

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