回顧展のチラシが出来ました2024年03月16日 20:46

表面
南丹市立文化博物館での没後80年大塚春嶺回顧展がまもなく開催となってまいりました♪ チラシのご紹介です。あまり見た事がないインパクトのあるチラシになりました。あまり知られていない日本画家だけに、よかったのかもしれません。お近く方は是非是非、関西方面にお越しの時はお立ち寄りください。

この2ヶ月ほど、図録の制作で、キャプションの下書きをしたり、お手伝いをしていました。一般的な図録ほどの厚みはありませんが、71点の作品で、その他に下絵もあり、密度の高い立派な図録になりそうです。解説文は豪華執筆陣となっており、私も書かせて頂きました(大塚春嶺の光を求めてーーー祝祭の歴史風俗画)。ご期待ください。

裏面
チラシ裏面の真ん中の小倉山屏風は、南丹市で見つかった6曲1双の屏風です。左隻は谷口香嶠の作を再構成したものですが、私も未見であり、楽しみにしています。

四季美人之図2023年12月30日 23:03

絹本着色(四幅軸装)。大正2年と箱書きにある。 「四季美人之図」は、近代的美人画に属するものとなっている。四幅対の作品は、商家の女性をモデルに描いたもので、大正時代のやや古風な女性像になっている。まず冬というか初春の大福茶を運ぶ羽織の若妻のような女性、緊張気味な表情が初々しい。春は、枝垂れ桜の下での二人連れ、扇子を広げて間を持たせている。姉妹なのか、いとさんとお付きの人なのか、着物からは若干の歳の差を感じさせる。そして、若奥さんが衝立の埃を払って夏の到来を感じさせる夏の一幅。秋は、年の離れた姉に子供が何か言っている。気になっている人が通りがかったのかもしれない。穏やかな秋の一日、そんな良き時代の思い出のような、何か物語を背景に持つ美人画である。

寛文風美人画2023年11月26日 22:17

大正から昭和にかけて上村松園や鏑木清方、北野恒富に代表される近代での美人画が興隆を見た。春嶺の紫式部図や賢木も美人画に近いものである。まだ紹介出来ていないが、四季美人図が描かれている。今回の作品は、寛文風美人画である。小袖で、鹿の子絞りがあしらわれ、美しい桜の花弁が印象的である。全体として「地無」ではなく、模様の空間が開けられるいるということで、寛永ではなく、寛文美人図ということになる。ほぼ同じ構図で二点が収集されている。やや小振りのもう一点も、同じく小袖姿であるが、鹿の子絞りはなく、友禅染めのみの模様と思われ、こちらも桜の花弁であるが落ち着いた亀甲模様が主体となっており、江戸時代の半ばと思われる女性の立ち姿となっている。

 さて、やや遡る近世での美人画は見立てがなされていた。応挙の「江口の君」が普賢菩薩であるような見立てで表されることが多かった。この春嶺の美人画では女性の足元の蟹に気がつく。更に蟹はお椀を載せている。おそらく如来像の台座である蓮華座であり、女性を見守る意味合いがあると想定される。元々蟹は、歌麿の浮世絵でも蟹を持った「教訓親の目鑑 俗ニ云ばくれん」があったりする。さらには、今昔物語で蟹の恩返しという、蛇から無理な結婚を迫られた美しい娘を守る蟹のお話がある。南山城の蟹満寺は、その縁起を伝えている。蟹は女性の御守りであることが窺える。春嶺がどのような関連で蟹の構図を描いたかについては、はっきりとはしない。

浮舟2023年11月25日 23:17

明治 20 年末頃 で、最初期の作品である。 土佐派の書法で描かれている。春嶺は谷口香嶠のもとで土佐派を学んだと浪華滴英は伝えているが、実際に香嶠塾での模写帖もあり、多くのことを学んだと思える。(ここで言うところの土佐派は、室町時代から続く大和絵の土佐派の流れを汲む画面を描く流派との意味であり、谷口香嶠は土佐派の描き方をマスターしていたと意味で、当然ながら美術史の土佐派ではない。ただ明治での画家の分類では土佐派という言葉が使われていたことも事実である。)この浮舟図は、源氏物語の浮舟の帖で、匂宮が浮舟の姫君を小舟に乗せて対岸の山荘に誘なう場面であり、桃山から江戸時代の土佐派の画家による作例が幾つかある。(そしてこの春嶺作の浮舟図は殆ど土佐派の画家の模写に近い)。浮舟の帖の本文では、かなりの雪が積もった冬で、有明の月が掛かっている事になっていて、橘の小嶋の和歌が詠み交わされることになっている。多くの絵巻もそれらの寂しく不安な情景を踏まえたものである。春嶺のこの作例では、満月であり雪もなく、広い空間構成で、おおらかな印象になっている。最初期の作品であるが、背景の構成は春嶺の好みに合わせて描かれている。

岩礁鷹図2023年11月13日 13:03

明治 25 年頃 で、春嶺初期の作品となる。 四条派の付立ての技法で勢いある岩礁と繊細な筆使いでの白鷲の対比が印象的な作品である。春嶺の四条派の伝統的な花鳥画は、本画では岩礁鷹図と孔雀図、二つが知られているだけである。四条派の描き方を深田(直城)塾で学んでおり、いくつかの模写と写生が残されている。それらのなかで、森川曽文の江ノ島富士図を模写したものがあった。岩礁鷹図の岩の表現は、その模写に近似していることが確認できる。なお森川曽文は深田直城の師であり、花鳥風月画だけでなく、風俗画から美人画も残されている。